ししとー(理系)の考察録

将棋と生物学系の知識、時事について考察するブログ

【将棋】新しい棋書を買う必要性は?(一周で終わる棋書ばかり・・・)

 

将棋の勉強をする上で、棋書(将棋の本)を読むことは必ず必要になってくると思う。独学で将棋を指しても上達はするかもしれないけれど、私は「将棋が上手くなる」という観点からは全くもって無駄な行為だと考えている。(独学で将棋を指すことを楽しむことを批判しているわけではない。そういう楽しみ方も有りだと思う。)


この考え方については以下の記事で触れているので興味がある方はそちらで。

shishitohpepper.hatenablog.com


近年は将棋ソフトの発達により、「棋書は将来的に必要なくなるのではないか?」という意見も聞くが、私はあり得ないと考えている。なぜなら、将棋の勉強は「良い手の感覚」を身に着けることだと思っているからだ。その感覚は、将棋ソフトの指し手をだけを見ても身に着けることは難しい。しっかりと人の手によって言語化されなければ、感覚として吸収できない。


将棋ソフトは製作者でも解明できないブラックボックスの中で導き出された最善の指し手を示し続けるだけである。そこには指し手が最善である理由が、将棋ソフトの中の言語では示されているのかもしれないが、それを人間が理解することはできない。将棋ソフトは評価値と最善の指し手を淡々と示すであり、人の言葉で指し手の理由を語ってはくれない。

 

まあつまり、将棋ソフトの指し手を自分の中で咀嚼し、理解できる領域の人達が積極的に活用していくべきなのであって、私のような駆け出しレベルの将棋指しは棋書から学ぶことばかりだということだ。


そして、その学ぶべき棋書を読む上で1つジレンマが発生する。「新たな棋書を買いたい」と「読んだ棋書をもう一周しなければならない」というジレンマだ。

 

将棋に限らず、勉強をするうえで読んだ棋書(参考書)をもう一周するのは当然の事である。その方が将棋の上達に繋がることは経験的に分かっているし、世の中の人もそう言ってる。というか棋書を一周したぐらいで、人が本当の意味で身につけられる知識などたかが知れている。本全体の20%もあるだろうか?本を繰り返し、何周も読むことで、ようやく習得率を90%に近づくのだ。

 

しかし、本を一周読み終えた時、人は満足感や達成感も得てしまう。そこで何周も読もうという気力を奪われる。そして新しい、注目されている流行の戦型に手を伸ばして、過去の棋書をおろそかにしてしまう。表層の知識だけをさらっても大した上達には繋がらないのは分かっているのだが。。。

 

別に、時間が無限にあればいいんだけどね。どれだけ新しい本を買っても、全部知識として身に着けられる時間があれば。だが人生の時間は有限である。その時間の中で、将棋に使うことのできる時間は一体どのくらいなんだろうか。私はロングスリーパーなのでショートスリーパーの方が羨ましい。

 

少し話が逸れたが、こう考えると新しい棋書を買う必要性に疑問を感じる。おそらく、新しい棋書を買わなくたって家にある棋書を読み込めば将棋の実力は十分に上達するのだ。棋書を買ってそれを読み込まないのであれば、それはただの「消費」である。食べ物と一緒で、一時的な快楽や面白さだけがそこにある。

 

将棋の本を娯楽として消費してしまう。果たしてその行為に、将棋上達のための勉強として生産性は存在するのだろうか?

植物工場での野菜の生産は可能なのか?

 

昨今、人類の急激な人口増加によって食糧不足問題が騒がれている。その中で、食糧問題の解決の助けになるといわれている存在が植物工場だ。植物工場とは、植物を屋内で自動的に栽培する試みだ。映画でも似たようなテーマが扱われているのを皆さんも観たことがあるかもしれない。

 

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どことなく危険な雰囲気がある植物工場だ


今、植物工場の完成が現実味を帯びてきている。実際にいくつかの研究室や企業によって植物を人工的に栽培する試みは行われているのだ。明治大学農学部における研究などは有名かもしれない。


しかしながら、植物を屋内で自動的に栽培することなどSFでの話ではないだろうか?と疑問が残る。本来、植物は外(自然界)で育つものであり、屋内で栽培をすることには無理があるのではないだろうか?本当に可能なのだろうか?


ということで、今回は様々な視点から植物の人工栽培は可能なのか考察していこうと思う。

 

 

1、植物工場の目的とは?

 

植物工場は一般的に養液栽培(土を使わない栽培方法のこと)を利用し、自然光または人工光で植物を栽培する。温度や湿度に加え、二酸化炭素の濃度(二酸化炭素光合成に使われるため植物の成長に重要)までも機械でコントロールしたりする。

 

要するに、作物を人工的な安定した環境で徹底的に管理することで、安定した生産を実現することを目的に植物工場は運営される。

 

こういった背景には、そもそも野外での農作物の生産量は天候や気温に大きく左右されてしまうことがある。晴れた日がほとんど無く雨が降り続いたり、気温が低かったりすると生育不良や病気を簡単に発症してしまうのだ。


代表的な例として、1993年に起きた「平成の大飢饉」が挙げられる。この年の日本の夏は気温がとても低く、長雨だった。この低温で湿気の多い環境は、イネの天敵であるいもち病には大好物で、いもち病の多発、日照不足や台風等により米の生産量が激減してしまった。この事件の裏には冷害に弱い品種の販売を農家に政府が推奨していた・・・などの話もあるのだが、今回は割愛する。気になった方はネットで調べてみてほしい。

 

この平成の大飢饉に代表されるような、農作物の生産量の不安定さの問題は、将来的に人口が爆発した時、より顕在化する恐れがある。これらの食糧問題を解決する可能性を秘めたモノの一つが、植物工場による農作物生産なのだ。

 

2、植物工場の具体的な取り組み例

 

では次に、実際にどういった企業が植物工場による野菜の生産に取り組んでいるのか見ていこう。
代表的な例はカゴメだ。カゴメはグランパという企業と連携して、植物工場でリーフレタスなどの栽培に取り組んでいる。(トマトじゃないのか・・・。トマトのような実がなる野菜は生産が難しいのかもしれない。)


一番の目的としては、需給調整のために植物工場の運営を行っているようだ。「消費者が求める量を適切に届ける。」これは一般的な栽培では意外と難しい。植物は気まぐれなのだ。この取り組みには、植物工場の持つ「安定した生産量を確保する」という強みが表れているだろう。

参考URL(https://www.kagome.co.jp/company/news/2013/001516.html

 

また、村上農園という企業も植物工場の運営に取り組んでいる。
スプラウトという野菜(豆苗とも言う。サラダに入っているのを見たことがある人がいるんじゃないだろうか?)を植物工場で生産しているようだ。こちらは逆に、野外での生産は難しい野菜かもしれない。スプラウトの栽培は、植物工場に適した生産形態と言えるだろう。

参考URL(http://www.murakamifarm.com/safety/factory/introduction02/

 

これらの例を見るに、現状の植物工場での栽培は、葉菜類など比較的単純な野菜に限られているようだ。果菜類(トマトやナスなど)は栄養もたくさん必要となるし、実が割れたり何かと品質が悪化しやすいため難しいのだろう。


3、植物工場の抱える問題点

 

では、上記のように便利な事尽くしに見える植物工場だが、当然多くの問題を抱えている。具体的には大きく分けて以下の3つのデメリットがある。


・初期費用が高い
ランニングコストが高い
・現状の技術力では栽培可能な野菜が限られる

 

まず、初期費用が高いのは大きな問題点だろう。植物工場では多くの環境要因を人工的に制御するため、当然、LED証明や植物に養液を届ける機械など、多くの設備が必要となる。


初期費用が高い場合、植物工場事業に参入する事へのリスクの上昇が懸念される。そもそも農業事業に参入すること自体が、広大な土地の確保やノウハウの蓄積など、多くのハードルを抱えているのだ。それに加えて、前述した膨大な初期費用が加わってしまっては、よほど物好きな企業でないと参入しようと考えないだろう。

 

また、ランニングコストが高いことも挙げられる。先ほど述べた環境制御が必要な理由と少し被るが、太陽の代わりに照明を使えば、当然電気代が掛かる。また、気温の調整や水撒きを行う機械を動かすのにも電気代がかかる。こういった、一般的に農家が行っている地道な作業を機械が肩代わりするのだから、ランニングコストが上がるのは当然だろう。

 

最後に、野菜のバリエーションが少ないことが挙げられる。植物工場での栽培は、基本的にはレタスなどの葉菜類などの栽培や収穫が比較的容易な作物に限られるようだ。果菜類は栄養要求量や必要面積が多いという側面もあり、植物工場における栽培とマッチしない点も多いのだろう。


4、結局のところ植物工場はどうなのか

 

このように、植物工場は実現すれば非常に魅力的な農業生産技術となる。農作物の安定生産は人類が長年望んでいた夢のようなものなのだ。

しかしながら、コストやハードルの高さなど、上述したような問題点も多く抱えている。これらの問題は、工業製品のパフォーマンスの向上と共に解消されていくものだと思うが、解決されるのはまだまだ先の話だろう。

 

工場で育てられた野菜だらけの食卓・・・なんだかSFチックでディストピア感があるが、わくわくする話である。将来、植物工場によって生産された野菜が食卓を彩ることを楽しみに待つとしよう。

 

 

それでは。

 

 

カナル型完全ワイヤレスイヤホン Glidic Sound Air TW-7000を購入してみた(レビュー)

 

最近、完全ワイヤレスイヤホンという新たなタイプのイヤホンが市場に出始めている。完全ワイヤレスイヤホンとは、Bluetoothでオーディオに接続するイヤホンのことで、首の部分にコードが無くなったワイヤレスイヤホンと違い、一切コードが存在しないイヤホンである。


代表的な例はApple社のAir Podsだ。こちらはダイナミック型のイヤホンで、このイヤホンをしている人を街で見かけることも多い。しかしながら、Air Podsは耳への密着度が低いダイナミック型イヤホンだ。ダイナミック型イヤホンにも、人との会話がしやすい、環境音が聞き取りやすい等のメリットはあるが、一般的に日本人は耳への密着度が高いカナル型イヤホンを好む方が多いのではないだろうか?


そこで筆者は、元々Amazonの評価が高かった、Glidic社が2018年末に発売したカナル型完全ワイヤレスイヤホンGlidic Sound Air TW-7000を購入し、購入後二ヶ月程度使用してみた。ので、今回レビューしていこうと思う。

TW-7000はリーズナブルな値段ながら高いパフォーマンスを持つイヤホンとして有名である。


GLIDiC Sound Air TW-7000 アーバンブラック 完全ワイヤレスイヤホン フィット感 最大25時間音楽再生 急速充電10分で2時間使用 Bluetooth対応/マイク搭載/充電ケース付/自動ON/OFF 【日本正規代理店品】 SB-WS72-MRTW/BK

 

 

1、スペックと価格

 

正式なスペックは以下の公式サイトを参照してほしい。

https://www.softbankselection.jp/cart/ProductDetail.aspx?sku=4580152975945


まず値段だが、安い完全ワイヤレスイヤホンで5000円程度、高いものは3万円を超える値段となるため、13000円程度であるTW-7000の価格は中程度と言える。
バッテリーの持続時間は連続再生9時間、ケースと合わせて25時間となっている。一般的な完全ワイヤレスイヤホンのバッテリー持続時間は、安い価格帯のもので3時間程度、高い価格帯イヤホンでも5時間程度であるため、TW-7000のバッテリーは上の価格帯と比較しても高性能となっている。
また、イヤホン本体に操作ボタンが付属しており、曲のスキップや巻き戻し、一時停止などができるようになっている。カナルワークス監修ということで、イヤホンの形に非常に拘りがあると書いてある。
通話機能ももちろん付属している。


まとめると、中程度の価格ながら長い連続再生時間イヤホンの付け心地を売りにした完全ワイヤレスイヤホンであると言える。


2、音質と使用感

 

・音質
曲を聴いてみた感想だが音質はフラットな印象だ。原曲をあまりいじらず、そのまま表現したという感じだろうか。また、ゲームや動画を見ると気になる程度に音ズレは存在する。アクションゲームなどでなければ許容できる範囲だろう。

 

・付け心地
抜群に良いと言える。長時間付けていてもほとんど耳が疲れず、今まで使用したイヤホンの中でも一番良い付け心地かもしれない。私は以前、5000円程度の完全ワイヤレスイヤホンを購入したことがあるのだが、あのイヤホンは着けると耳が痛くて敵わなかった。(加えて音質も悪いので結局返品した)

気になる点と言えば少し外れやすい所だろうか?普通に歩いたりする分には問題ないのだが、激しい運動をしながらTW-7000をつけるのはオススメできない。防水機能もついていないので、スポーツやランニング用には向いていないと言える。

 

・物理ボタン
これまたイヤホン本体に付属した物理ボタンは非常に便利だ。私は作業中に音楽を聴くことが多いが、スマホの画面を見ずに曲の操作ができるのは素晴らしい。タッチセンサー式のボタンがついた完全ワイヤレスイヤホンもあるが、あのタイプは誤作動が非常に多いのお勧めできない。このイヤホンは物理ボタンであるため、誤作動の心配が全くない

 

・音声通話
普通に通話には困らない程度。良くも悪くもないといった感じ

 

・会話モード
このイヤホン、左耳のボタンを一回押すと、環境音が聞き取りやすくなる会話モードを利用できる。確かに通常よりも人の声を聞き取りやすくなるが、遠くの音をよく拾って近くの音を拾うことがなかなかできない。そのため、会話モードを使ってイヤホンをつけたまま会話は実質出来ないと思ってもらってよいだろう。

 

・バッテリー
バッテリー持ちは非常に良い。筆者は音楽をずっと聞いているようなタイプではないので、一週間充電しないこともザラにある。連続再生も非常に長くできるし、急速充電機能(10分で二時間分充電できる)もあるのでバッテリーに困ったことはないスマホのバッテリーは少し消費しやすくなるかも。

 

・接続
接続は安定している。人ごみの中で接続が切れたことはなく、比較的距離をとっても接続はなかなか切れない。ただし、イヤホンを両耳タイミングよく取り出さないと、度々片耳再生モードになることがあるのでそこは不満である。

 

3、特に気に入った点、微妙な点

 

このイヤホンを二か月間使用した感想として、バッテリーの持続時間、付け心地、物理ボタンが特に優れていると感じた。付け心地は本当によく、長時間再生しても耳がほとんど痛くならない。バッテリーも非常に長く持ち、一日の使用でバッテリー切れになることはほとんどないと言える。物理ボタンは作業をしながら音楽を聴く人には非常に重宝すると言えるだろう。

 

微妙な点は、ケースから取り出す際に片耳再生モードになりやすい点、音質が価格相応の音質なことだろう。3000円のコードイヤホンと同程度だろうか?音質を求める方には向いていないかもしれない。防水機能はついていないが、日常生活で困ったことはない。


4、まとめ

 

TW-7000は、完全ワイヤレスイヤホンとして比較的安めにも関わらず、非常に高性能でとてもコストパフォーマンスの良いイヤホンと言える。外れのない完全ワイヤレスイヤホンを使い始めたい方、通勤や作業中などにイヤホンを使う方、音質にそこまでこだわらない方にオススメである。
Amazonで5000円程度の完全ワイヤレスイヤホンを見かけるが、アレを買うぐらいなら絶対にこちらを買うことをオススメする。

 


GLIDiC Sound Air TW-7000 アーバンブラック 完全ワイヤレスイヤホン フィット感 最大25時間音楽再生 急速充電10分で2時間使用 Bluetooth対応/マイク搭載/充電ケース付/自動ON/OFF 【日本正規代理店品】 SB-WS72-MRTW/BK

 

逆に、音質に非常にこだわる方、スポーツ中に使いたい方にはオススメできない

 


以上でカナル型完全ワイヤレスイヤホンTW-7000のレビューを終わろうと思う。


それでは。

 

 

新元号「令和」と平成の終わりについての話

 

本日四月一日、ついに平成に代わる新しい元号が発表された。新しい元号は「令和」というらしい。「令和」とは、万葉集中の「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」という文章に由来する言葉と報道されていた。


私の新元号を聞いた第一印象は、「言いづらそうな元号だなあ。」であった。もっとろくな感想は出てこないのかと自分自身に呆れたが、特に言葉に情緒とかを感じない性格なので仕方ない。(それにしても、万葉集という単語を聞いたのは日本史の授業以来である。筆者は理系で国語苦手人間なので、万葉集については詳細は忘れていた。)

 

「令和」の由来についてネットの記事では触れているものは多くあったが、意味について触れているものは少なかった。そのため少し調べてみたところ、安倍首相が「令和には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められている。」
と語ったそうだ。


個人的にはもっともらしい熟語的な意味は無いのだろうかと考えたのだが、そもそも「平成」や「昭和」などの元号もぱっと見で意味らしい意味が思い浮かばない。元号とはそういうものなのかもしれない。元号は言葉の響きの良さやフィーリング重視で決めていたりするのだろうか?


さて、新元号の発表に加え、平成が終わるまであと一ヶ月まで迫っている。平成生まれの私としては、自分の生まれ年もついに古い元号となってしまうのか。。。と少し寂しい気持ちになる。昭和生まれの方は元号の変わり目を迎えるのが二度目ということで、なおさら寂しい気持ちかもしれない。自分も将来、「平成生まれ!?古いね~」みたいなことを言われたりするのだろうか。生きているうちにもう一度ぐらいは元号が変わったりするのかな?


思えば、平成最後の年である2019年は様々な「終わり」を迎えた年であった。記憶に新しいもので言えばイチロー選手の引退があるし、羽生先生の無冠転落もとても印象的な出来事であった。と言いつつ実際のところ、「終わり」は結構なタイミングで訪れているのだろう。しかし、特に紐づけられる印象的な出来事がなければ、私たちは「終わり」に対して無関心なだけかもしれない。

 

そして、毎年迎えるものではあるが、季節の変わり目やこういった時代の変わり目はなかなか寂しい気持ちになる。私は人生経験的には「終わり」を経験した回数が人と比べて少ない方だと思うけれど、いざ「終わり」を感じた時は少しセンチメンタルな気持ちになる。

しかし、何かが終わるということは新しいことが始まる、と言い換えることもできる。悲しい気持ちを乗り越えて、これからも前向きに物事に取組んでいきたい所存である。皆さんもこれを機に、新しいことにチャレンジするのはいかがだろうか?将棋とかね?

 


追記:個人的な意見として、元号はとても歴史を感じる日本文化だと思うので残すべきだと思う。しかし、履歴書や書類においては、いよいよ表記を西暦に統一していいんじゃないだろうか?
あまりにも非合理的というか・・・これもまた日本という国の文化や国柄なのだろうか?

将棋初心者にオススメの戦法(相居飛車編)

 


前回、将棋を指すうえで目指す形という記事を書いた。
未読の方は是非そちらを読んでから、この記事を閲覧してほしい。

 

 

shishitohpepper.hatenablog.com


前回の記事では、相居飛車における最低限の守りの形について書いた。
この形から、矢倉や雁木など様々な囲い(優秀だと分かっている既存の金銀玉の形のこと)に派生するわけだが、正直、初心者は囲いを発展させるよりも攻めに徹した方が良い。


理由は、将棋は相手の王様を詰ますゲームだからだ。

戦術において守りを優先させた場合、当然自分の攻めよりも相手の攻めの方が早いため、自分の王様が詰まされるよりも先に相手の王様を詰ませるためには、どこかでカウンターを仕掛けて守りから攻めに転じる必要がある。

しかし、初心者にはこのカウンターが難しい。多くの方は攻められっぱなしで駒取られまくってボコボコにされた経験があるのではないだろうか?(私ももちろんある)

 

ということで、初心者にはまず攻め方を覚えることをオススメする。そして、今回の記事では攻め方を覚えやすい戦法を紹介していこうと思う。

 


1、まずは棒銀

 

「初心者はまず棒銀をしろ」という言葉はよく聞く言葉だと思う。実際私もその通りだと思うので、まずは棒銀を覚えよう。

棒銀は、その名の通り銀をずけずけと前に出す戦法である。
棒銀の駒の動かし方などについては多くの詳しいサイトが存在するため、以下のようなサイトを参照してほしい。

 

zarigani45.hatenablog.com

 

ここでは、「なぜ棒銀が初心者におすすめなのか」という理由について書こうと思う。将棋において戦法選択の理由を頭に入れておくことは上達する上で非常に重要なことだ。


棒銀が初心者にオススメされる理由として、以下の3つが挙げられる。

 

①攻め方がわかりやすい
②リスクが少ない
③桂馬を使わない

 

まず①について。

そもそも、将棋の攻めの基本は飛車と銀である。棒銀は攻めに基本的にこの2つ駒のみを使う。攻め駒を二つの駒に絞ることで、単純でわかりやすい攻めとなっている。

また、棒銀では、銀と飛車の2枚の攻めで、金1枚の守りを突破する。このことから、将棋の攻めの基本である「駒の足し算」という考え方を理解しやすい。

このように、棒銀は攻め方がわかりやすく、攻めの基本を押さえることのできる戦法だと言える。

 

次に、②について
棒銀では、カウンターに合うリスクが少ない。飛車先以外の余計な歩を突かないからだ。将棋において、歩を前に動かすことは勝つための重要な要素だが、代償として自陣がスカスカになる。そのため、相手に駒を持たれていると、打ち込まれるリスクが発生する。

棒銀では飛車先以外の余計な歩を動かさず、低く構えることでカウンターを貰うリスクが低くしているのだ。

 

最後に、③について
将棋の攻めは飛車角銀桂」というように、本当なら桂馬を攻めに参加させたい。
しかし、初心者が桂馬を動かすと逆に桂馬を攻めの標的にされてしまう。
桂馬の高飛び歩の餌食、というように、初心者の方は相手の歩によって多くの桂馬を打ち取られているのではないだろうか?

しかし、棒銀では攻めに桂馬を使わない。これにより、桂馬を攻撃されるリスクを減らしながら攻めを実現することができるのだ。

 

2、棒銀の次は極限早繰り銀!


1で解説したように、初心者には棒銀がオススメである。
しかし、棒銀には銀が取り残されやすい、様々なデメリットも存在する。具体的には、五段目へ銀の進出を阻まれるとやることがなくなったり、銀が闘いから取り残されたり・・・

 

そこで、棒銀で攻めの基本を覚えた方には「極限早繰り銀」という戦法を紹介する。極限早繰り銀とは、図のように相手の角頭めがけて一直線に繰り出していく戦法のことだ。

 


私が極限早繰り銀をオススメするのは以下の二つの理由からである。

 

①方針がわかりやすい
極限早繰り銀は攻め全振りの戦法である。棒銀と同じく守りは最低限の金上がりだけで、真っ先に銀を攻めに繰り出していく。このことから戦法の方針が非常にわかりやすい。また、相手が対策を知らないことが多いので、非常に成功しやすい。棒銀と似ているが、違う点は角頭を狙う戦法ということである。この戦法では、拠点を作る、角頭を狙う、角と銀の連携など、棒銀から一歩前進した攻めを学ぶことができる。


②後々とても応用が利く
極限早繰り銀における銀の動かし方は、今後様々な戦法において役に立つ。極限早繰り銀で現れる部分的な形は、対振り飛車や対雁木でも頻出である。この戦法を学んぶことで得は多いが損はないと断言できる。

実は、この極限早繰り銀は最近流行したソフト初の戦法で、プロの先生方も多く採用している戦法である。当時非常に注目されていた戦法で、書籍が出版された時は大流行していた。今ではいったんブームが落ち着いたが、それでも優秀でわかりやすい戦法であることは間違いない。


この戦法を覚えることで、角銀飛車の攻め、しいては桂馬を使った攻めも最終的には学ぶことができる。前述したように非常に応用が利く戦法なので、是非ものにして欲しい。 なお、極限早繰り銀を学ぶうえでは以下の定跡書がオススメである。というかこれにしか載っていない。

 

3、まとめ

 

初心者が相居飛車の勉強を始めるときは、まずは棒銀をオススメする。
棒銀に慣れたら、極限早繰り銀にステップアップしよう。この戦法は、多くの戦法の攻めの基本となるからだ。
そして、戦術書はこちらをオススメする。

 


史上最速の攻撃戦法 極限早繰り銀 (マイナビ将棋BOOKS)


極限早繰り銀戦法(将棋世界2017年8月号付録)


戦術書を読む上でのポイントだが、オススメは多くの戦術書を買わずにまずは一つの戦術書を読み込み、戦法の方針を理解して身につけることだ。盤に並べながら読むとなおいいだろう。

 

次回は対振り飛車のおすすめの戦法を書こうと思う。
それでは。

「遺伝子」についてわかりやすく解説してみた

 

以前、遺伝子組み換え作物についての記事を書いたが、遺伝子についてはあまり触れなかった。

 

shishitohpepper.hatenablog.com

というのも、端的に説明することが難しいほど、遺伝子というものは概念的で、曖昧で、しっかり理解するためには背景的な理解が多く必要な言葉なのである。

そこで今回は、遺伝子とは何?という話に少し踏み込んで説明しようと思う。

 

 

1、人の体はタンパク質から出来ている!

 

一言で言うと、遺伝子は人の体の設計図である。これについては上記の遺伝子組み換え作物の記事で説明したとおりだ。


ではそもそも、「人間の体は何からできているのか」 という話をする。

 

人の体を大きく分ければ、目や腕、足などのパーツに分解できる。
では、その腕や足は・・・筋肉や血液、皮膚などからできている。
では、その筋肉や皮膚は・・・ご存知の通り細胞からできている。

 

・・・では細胞は?

 

答えを先に言うと、細胞は主に水とタンパク質から出来ている。
水が70%、たんぱく質が15%、残りがその他という割合だ。

 

 

つまり、非常に小さな単位まで人間をバラバラにすると、人間の体はタンパク質と水から出来ている、ということが分かると思う。

このタンパク質の形成に遺伝子は大きく関わっている。

 


2、タンパク質とアミノ酸

 

これまでから、人間の体は水とタンパク質から出来ていて、そのタンパク質を作ることに遺伝子が関わっていることが分かった。

 

それではタンパク質は何?という疑問に答えていく。

 

タンパク質とは、「アミノ酸が非常に多く集まって立体構造をとったモノ」である。


具体的には酵素(アミラーゼ)とかがタンパク質。毒とかもタンパク質から出来ている。かの有名なコラーゲンもタンパク質。(コラーゲンを食べても体に良い効果はたぶんないからオススメしない

 

まあ、生物として形あるものの多くがタンパク質を含んでいると思ってもらって良いと思う。

 

ここで注意点が一つあるが、タンパク質は数ある物質の総称である。

(本当はドラゴンクエストやFF、モンハンなど色々な種類があるのだけれど、まとめてゲームソフトと言ってるようなもの。)

 

 

では次に、「アミノ酸は何?」という質問に答える。

アミノ酸とは、アミノ基とカルボキシル基の両方の官能基を持つ有機化合物の総称である。(Wikipediaより引用)

 

よくわからんって方は、アミノ酸は目に見えないもの凄く小さな物質、という認識でいいと思う。とにかくそれだけ小さな、化学式で簡単に表せるような物質がたくさん集まってタンパク質ができているのだ。

 

そして、タンパク質の組成や種類は、アミノ酸の種類と数、並び方によって決まる。

細かい話をすると、リボソームと呼ばれる細胞内小器官がアミノ酸をくっつけてタンパク質を作っている。

 

そこで、そのリボソームがタンパク質を作る際に用いる、アミノ酸の並び方を示している設計図が遺伝子である!


4、遺伝子とは?

 

では、具体的に遺伝子とは何か、という話をする。

 

遺伝子とはDNAである!

 

・・・遺伝子の本体はDNAという話はよく聞くと思う。本体って何だよという話だが、遺伝子は機能的な名前で、DNAが物質的な名前と考えてほしい。

本(機能的な名前)と紙束(物質的な名前)のようなものだ。

 

そして、遺伝子は細胞内にある核という部分に収納されている。核の中には染色体という物質が入っており、この染色体はヒストンと呼ばれるタンパク質と、DNAから出来ている。


ここで一度整理すると、

 

 

細胞の一部⇒核の一部⇒染色体の一部⇒DNA

という感じ。

 

そしてDNAはさらに、塩基というパーツをつなぎ合わせて出来ており、塩基は4種類存在し、具体的にA,T,C,Gという塩基がある。
このパーツの順番をもとに、アミノ酸を並び替えてタンパク質が作られるのだ。

 

つまり遺伝子とは、タンパク質を形成するアミノ酸の並び順を決める設計図であり、
具体的にはDNAという物質である。
DNAは、塩基という4種類のパーツから構成されてお(ATCGATCTAGCTAGCTGCATGCATG・・・)
となっており、細胞内の核という場所に収納されている。

 

ここで注意してほしいのが、DNAはあくまで設計図であって、パーツではない。
DNAをもとにアミノ酸は作られるが、アミノ酸を細かくバラバラにしてもDNAにはならない。

 

チャーハンに例えると

タンパク質がチャーハン。
米、塩、コショウ、醤油、卵、油がタンパク質。

料理人にあたるのがリボソーム

「チャーハンの作り方」という概念が遺伝子。DNAはレシピの本。塩基は単語。


こんな感じである。


5、まとめ

・遺伝子はタンパク質の設計図。
人はタンパク質がたくさん集まってできているから、タンパク質の量や種類の細かな違いが、顔の違いや身長の違いの主な要因になる。

 

・遺伝子の具体的な物質はDNADNAは塩基というパーツから構成されており、
塩基の並び順がアミノ酸の種類と量、並び順を決定する。

 


・・・相当かみ砕いて書いたつもりだが、それでもやはり、遺伝子という目に見えないモノの理解は難しい面があるかもしれない。

 

少しでもこの記事が皆さんの理解に繋がってもらえれば幸いだ。

 


それでは。

 

 

効率の良い勉強法~私が考える勉強論~

 

世の中には多くの人が様々な理由で勉強している。

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私には一夜漬けで試験を乗り切ろうとする大学生にしか見えない



例えば、受験勉強のため、資格を取得するため、自己研鑽のため、趣味のため、という人もいるだろう。実際、私も専門分野の勉強に加え、将棋の勉強、ゲームの勉強も行っている。また、スポーツなども広い意味では勉強と言える。(「学び」と言い換えることもできる。)

 

こうやって世の中の人は、日々何かに対して勉強し続け、一生を終えると言える。
人間には「知識欲」が本能として備わっているのだから、これはある種当然と言えるだろう。

 

そして、人にはそれぞれその人自身に合った「勉強法」が存在するわけだが、今回、私が”効率よく”勉強するために心がけていることを書いていこうと思う。


これが正しいか勉強法かはわからないし、人それぞれ思うことがあると思うが、何か意見があったら是非私に送ってほしい。

 

1、初めに~勉強時間という考え方~

 

私は昔から「何時間勉強した!」だの、「目標は何時間勉強すること!」といった風に
勉強量の指標を時間で表すことが非常に嫌いである。


なぜなら結局、勉強量は勉強時間によって決まらないからだ。
質の悪い(集中できておらず効率が悪い)勉強をいくらたくさん行っても、
質の良い(集中して効率的に取り組んだ)勉強には敵わない。

 

質の悪い勉強を一日10時間取り組むぐらいなら、私はきっちり三時間、集中して勉強するほうがよっぽど有意義だと考えている。大事なのは勉強によって得た理解の量なのだ。どれだけの質を持って勉強した中身を理解できているか、これが重要なのである。


これを疎かにして、ただ「たくさん勉強したな~」という満足感だけ得ても、得られるのは一時的な満足感だけで、結局、苦労を先送りしたに過ぎない。

これは勉強に限らず、仕事においても言える事だろう。

 

では、そういった質の良い勉強方法はどうやったら実現できるのか。
それを実現するために心がけていることを以下に綴っていく。


2、方法の改善


効率的な方法と言っても、凄く集中して勉強するとか、適度に休憩を取りながらやるとか、そういった一般的な技術は当然である。

 

そして、勉強には自分自身に最も適した方法があるが、それは一朝一夕に身につくものではない。効率的な勉強方法を身につけるためには、方法を改善し続けることが必要だ。

 

自身が勉強する方法をルーチンワークのように、何も考えずに繰り返すだけでは勉強方法の効率化は望めない。勉強するたびにもっと良い方法はないか、考え続け、試行錯誤を繰り返し続ける。

 

こうして勉強方法の試行錯誤を怠らず、改善し続けることで、自分にとって効率の良い方法が身につくのだ。それはすごく小さなことでも良い。

例えば、ノートの幅を少し大きめにとってみるとか、蛍光ペンの色を二色に絞ってみるとか。

 

そういう繰り返しが結局、勉強が上手な人と下手な人の差に繋がっていくのだろう。


2、模倣

 

新しいことに取り組むとき、先達者を模倣することは非常に重要である。むしろ、模倣なしには始まらないといっても良い。
将棋においては定跡、数学においては公式、研究においては論文。
これらの知識をまず頭に詰め込むことは非常に重要である。

 

1から自分で始めることにこだわる人がたまにいるが、これは「効率の良い勉強法」という観点からすれば、非常に非効率的である。
先達者がわざわざ努力の末に敷いてくれたレールを、自ら破棄するほど愚かなことはないだろう。


守破離」というように、武道においてもまず型を守って身につけ、それを破り、型から離れ自己流に昇華させる。

 

勉強においても同様に、既に存在する便利な知識や方法を頭に入れることから始めるべきだ。


3、反復

 

私が高校時代にお世話になった数学の教師は、「勉強とは山登りのようなものだ。」と語っていた。

 

山の麓から中腹に上るように、未熟な時期から勉強を続けて一人前になった時、そこから見える景色はまた違ったものとなっている。

登っている最中は気づかなった滝や道が、中腹から見れば実は傍に存在していたと気づくことがある、と。

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勉強とは登山・・・らしい

 

つまり、より多くの知識や経験を身につけた上で今まで習った内容を反復した時、
新たな理解が得られることがある、ということだ。

 

この言葉は私の中で非常に印象深く残っており、先生が反復の重要性を説いたのだと私は理解している。

 

実際、私は一度勉強した内容を数多く反復しているが、「この考え方はこういう理論にも応用されているのか」とか、「こういう裏付けがあるからこの方法が成り立っていたんだな」など、新たに気づかされることばかりだ。

 

このように、自分の中にある知識や経験をより高いレベルに昇華していくためには、一度学んだ内容をどんどん反復していくべきだ。反復する回数は多いに越したことはないだろう。

 

4、最後に

 

今回、私の考える効率よい勉強方法を実現するために意識していることについて書いた。読み返すとビジネス書っぽく中二病臭い文章となっているかもしれないが、黒歴史ということで許してほしい。

 

要は方法の改善を怠らないこと、学び始めは人真似から入る事、反復を必ずすること
この3つが効率よい勉強方法の実現のために重要だと考えている。

勉強方法に正解はないが、これを私の考える一つの勉強方法として、皆さんの参考になれば幸いである。

 


それでは。